この度は、医療法人茜会のホームページにご訪問いただきましてありがとうございます。医療法人茜会理事長の味八木 郁雄(みやき いくお)と申します。
当法人は、三重県の熊野市に「みやきリハビリテーションクリニック」を開設(2024年1月)し、「介護センターみやき」とともに熊野地域の方の健康を守るお手伝いをさせていただくことを目指しております。
このホームページは都市部と熊野を繋ぐ医療法人茜会の公式ホームページとして情報を提供させて頂くことを目的に開設いたしました。
私が開業医(町医者)となるきっかけは三重県熊野市で整形外科医院を営んでいた父が倒れた事でした。西暦2000年の4月に開業するまでの数か月、故郷熊野の海岸近くの診療所を週に一日だけ開けるために車で紀伊半島の中央の山間(国道169号線)を縦断し南大阪―熊野間を往復する私の心に映った景色は(目的を失い放置された杉の美林?)と(いたるところダムで寸断された河川とえぐられた山肌)でした。過去数十年間にこの列島に住む人の暮らしが豊かになったとすれば、それを支えた産業構造が導いた結果は「国栄えて山河なし」ではないでしょうか?かつての共同体社会はわずかにその枠組みと空き家だけを地方に残し人は大都市に吸い寄せられながらバラバラです。社会ではますます大規模産業の偏重が進み、人の生活は食のリスクにさらされ、職人の技術や先人の知恵を受け継ぐこともますます困難になっています。人と人、人と自然の等身大の関係によって生み出される価値が見直されるべき時代です。
医療法人茜会は2001年の6月に整形外科医院の建物を利用し診療所に認知症グループホームと訪問介護/居宅支援事業所を加えて小規模多機能の医療、介護を目指してスタートしました。
しかし熊野では整形外科的治療に必要な療法士の雇用が困難であったため、私は地域密着型のリハビリテーション(甦り再生)事業の足掛かりとして新たに2003年12月に大阪府松原市に「みやき整形外科大阪クリニック」を立ち上げ、熊野の介護事業は「介護センターみやき」として継続しながらも診療所のみを移転しました。整形外科診療では高齢者の慢性疾患、老いと向かい合います。松原市の診療所では20年間にわたり理学療法を中心とする外来/訪問診療を継続し、私自身も地域の皆様の健康寿命をお守りするためのリハビリテーションの重要性を再認識いたしました。この実績を踏まえて、いっそう高齢化の進む熊野地域にこそ不足しているリハビリテーションを提供するため、大阪府松原市の「みやき整形外科大阪クリニック」を開設以来20年目の2023年11月30日に閉院、三重県熊野市久生屋町の「介護センターみやき」と同じ建物に新たに2024年1月1日「みやきリハビリテーションクリニック」を開設することといたしました。
古くから熊野は「甦り再生の地」とされております。いま我々は人間自らを再生させ、共同体を再構築し、様々の関係に付随する規範を取り戻す必要に迫られていると思います。私たち医療者の仕事は、古来技術のみならず生き方と誇りを伝承することによって共同体社会を支えてきた多くの「職人」同様の専門技術職です。茜会は熊野においてもI/Uターンの療法士、看護師を求めています。在宅の現場で人の暮らしの中に入る提供者には通院/入院(通所/入所)における以上の人間的能力が求められます。茜会は志ある人材を求め、その育成を目指しております。
医療法人茜会理事長 味八木郁雄
訪問介護/訪問看護/訪問リハビリテーションが浸透するにつれ私が往診する機会も増えました。印象的なのは、何回も診察室に来られた患者様の、私が理解していなかった多くの面がたった1回の往診で分かってしまう事です。その理由は、その方の生活が窺えるから、だけではないように思います。診察室に入る患者様は不安と緊張のため自分を出しにくく、医師に対して下から目線となりがちです。一方在宅では、私が「お邪魔します」と玄関で靴を脱ぎ、ようやく患者様と対等目線で会話ができるように感じます。
人は寝たきりに近づくほど認知機能は低下し肺炎のリスクも増えます。起きて座る事、足を使って踏ん張り立ち上がる事、は食べ物を噛んで食べることと同様に健康であるための基本的重要事項です。人の体は加齢とともにメンテナンスを必要とします。整形外科医としての私の役割は、患者様の健康状態を見守り、特に活動性の維持、向上、低下予防のためのリハビリテーションを提供する事です。